D-値の知識なしに低温調理を行うことは、毒キノコの知識なしにキノコ狩りに行くようなものです。
あなたの低温調理がなぜ”危険か”、あるいはなぜ”安全か”を客観的に判断するための道具としてD-値は欠かせません。ここの内容を理解すれば、あなたの低温調理が”どれくらい”安全かを数字で語ることもできるようになります。
Anova Precision Cooker、炊飯器など使用する機器に関係なく、低温調理をする人なら必ず理解しておいて欲しい情報を集めました。

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D-値(decimal reduction time)とは

概要

ある細菌・ウイルス(以下、「細菌」と省略)を特定温度で加熱した時に、生菌数を1/10まで減らすのにかかる時間をD-値(decimal reduction time)と呼びます。たとえば、”カンピロバクターの53℃におけるD-値は5分”などと言い、
\( D_{53} = 5 \,\text{min} \) などと書くこともあります。
この例で言えば、カンピロバクターの付着する鶏肉を53℃で5分加熱すれば、カンピロバクターの数を1/10にできるということです。

定義

数学が好きでない方は飛ばしてください。興味のある人に向けて参考までに書いています。精緻に殺菌レベルの計算をしようとすると、こちら記載の情報が必要になりますが、ほとんどの人にとっては必要ないと思います。

ある細菌xの初期生菌数を\( N_{0} \)とする。
この細菌xを温度\( c \)で熱したときの\( t \)時点での生菌数を\( N_{t} \)とするとき、\( N_t \)は経験的に
\( \frac{d N_{t}}{dt} = – r N_{t} \)
という微分方程式に従うことが知られ、この解は
\( \log_{10} N_{t} = \log_{10} N_0 – 0.434rt \)
を満たす。
このとき、
\( D_{c} := 1/0.434r \)
と定義し、\( D_{c} \) を殺菌xの温度\( c \)におけるD-値という。
(定義から明らかなように、D-値は生菌数を1/10に減らすために必要な時間に等しい。)

なぜD-値が重要なのか

理由1: 安全性の基準指標となる

後述しますが、加熱によって食品中の細菌数をゼロにすることは困難です。したがって、安全なレベルまで細菌を”減らす”ことが必要になります。

食品中の一般細菌の場合、初期の生菌数の\(10^{-5}=\)10万分の1まで減らせれば(生存確率を10万分の1とできれば)、安全とされます。つまり、前のカンピロバクターの例で言えば、\( 6 \times D_{53} = 6 \times 5 = 30 \) 分の加熱を行えば安全と判断できます。なお、ボツリヌス菌のように毒性が強く危険な細菌の場合は、初期の生菌数の\( 10^{-12}= \) 1兆分の1まで減らせれば安全とされます。([1])

前者の殺菌レベルを”5D-reduction”, 後者を”12D-reduction”と呼びます。このブログでは、文脈上明らかな場合は、”reduction”を落としてしまって、単に”5Dレベル(の殺菌)”と表現します。

ちなみに、このD-値による安全性判断の基準は食品に限ったことではありません。医療分野での無菌性保証レベル(sterility assurance level、SAL)として6Dレベルが国際的に採用されており、医薬品の規格基準である日本薬局方でも、同様の水準が「最終滅菌法」として採用されています。([2])

以上のように、初期生菌数が深刻でない(食品の一次汚染が深刻でない)という前提のもとで、6Dレベルの殺菌が1つの「安全性」の基準となっています。

理由2: 細菌の熱耐性を比べる際の指標になる

一般に食品には複数種類の食中毒原因となる細菌が存在します。加熱によってそれらの細菌数を減らしたいのですが、細菌によって熱への耐抗性はバラバラです。そのため、一見すると低温調理によってそれらの細菌を安全なレベルまで殺菌する作業はとても複雑に感じます。

しかし、実際はそうではなく、とても単純です。調理に採用した加熱温度におけるD-値が最も大きい細菌(Xと呼ぶことにします)の殺菌だけを考えればよいのです。なぜなら、細菌Xが今考えている範囲で”もっとも熱に強い”ものであるため、細菌Xが殺菌できていれば、他の細菌YなどはXが殺菌されたレベル以上の殺菌を受けるからです。結果的にXが安全なレベルまで殺菌されていれば、他の細菌について心配する必要はなく、安全です。(ボツリヌス菌の殺菌まで行いたい場合は例外。ただ、家庭での低温調理ではボツリヌス菌を殺菌する必要はない。)

例えば、鶏胸肉を63度で低温調理する場合、カンピロバクターについては \( D_{63} = \) 約0.7分、サルモネラについては\( D_{63} = \) 1.8 分なので、D-値の大きい方のサルモネラの殺菌だけを考えれば十分です。1)ここでは触れませんでしたが、リステリアについてもお忘れなく。サルモネラが殺菌されていればカンピロバクターは自ずと十分殺菌されることになります。


このように、D-値を比較することで、懸念される細菌間の熱耐性を数字でシンプルに比べることができ、低温調理における殺菌の問題を単純化することができます。

D-値をどのように使うか

主要な使い方は2つあり、実は既に両方とも紹介しています。

細菌の熱耐性の比較

前項で見た「細菌の熱耐性の比較」がD-値の使い方の1つです。「どの細菌を中心的な殺菌対象とするか」という代表選出のためにD-値を使いました。

加熱温度と時間の選択

もう1つの使い方は、「選択された細菌を一定レベル殺菌するにはどうすればよいか」という、加熱温度×時間の選択のために使います。これは”安全性の基準”の項でカンピロバクターを例に既に一部紹介しています。つまり、達成すべき殺菌レベル(5D, 7Dなど)を所与とすれば、
1.まず殺菌を行う温度を選び
2.その温度におけるD-値を調べる
3.加熱時間として、そのD-値を必要な殺菌レベル分だけ倍掛け(5倍, 7倍など)した時間を用いる
ということです。

より現実的な例として、鶏肉に存在するサルモネラを7Dレベルで殺菌することとして、加熱温度は65℃を選んだとします。この場合のD-値は48秒なので、48×7秒、つまり約6分間鶏肉を65℃に維持すれば設定した殺菌レベルを実現することができます。

以上がD-値の使い方です。低温調理を行う上でD-値を知ることがいかに重要か、ご理解いただけたのではないでしょうか。

D-値の限界

D-値がとても便利なツールであることを認識したところで、注意事項をお伝えします。
D-値はミクロな世界の現象を非常に単純なモデルで表現したものです。この単純化が見逃している部分について、とりあえずは以下2点について知っておきましょう。

注意1: D-値は温度以外の要素に依存する

ある細菌のD-値は唯一無二のものではなく、さまざまな要因によって変動します。たとえば、本番の加熱前のヒートショック2)細菌を熱で半殺しにすること。過酷な環境を経験したことで耐熱性を獲得する菌が出現する。細菌はサイヤ人だと思いましょう。、食材のpH、塩分濃度、細菌群の構成、細菌の量、細菌が付着している食材、などです。3)この手の要素の他のものにも興味のある方は、私がD-値を紹介するページで参考文献として挙げる論文を当たって確認してみてください。

現実問題として特に重要なのは
・細菌の量
・細菌が付着している食材
です。

D-値の変動要因1: 細菌の量

細菌が食品中で増えて大群を形成してしまうと、そうでない場合4)通常こちらのケースを想定してD-値は測定されるに比べてD-値が大きくなります。つまり、熱に強くなります。一度でも繁殖を許すとその後の殺菌の難易度が上がるということです。諦めてその食品は廃棄するのが賢明です。低温調理に限らない一般論ですね。

D-値の変動要因2: 細菌が付着している食材

先のものと違い、低温調理に特有の問題です。たとえば、リステリア・モノサイトゲネスを牛乳に含ませてD-値を計測する場合と、豚肉に付着させる場合、牛肉に付着させる場合でD-値は異なったものになります。5)一致する場合もある。傾向としては加熱温度が高温になればなるほど差異は小さくなる。実験に選んだ食材によって、なぜD-値に差異が生じるのかは細かすぎるためここでは説明を省きます(興味があれば論文を当たってください)。

D-値の変動への対処: その1

教訓としては、そのような差異が生じる可能性を下げるために、D-値の計測時に用いられた食品と同種のものをできるだけ使って、実験環境とあなたの加熱調理の状況の乖離を少なくするべき、ということです。理論通りに事が進むように工夫しましょう。

D-値の変動への対処: その2

教訓がもう1つ: そのような差異は常に存在するものと思って、より悪いシナリオに備えるべき、ということです。D-値を使う際は、同一細菌のD-値を複数探し出し、より不利な値を採用して、強めの殺菌レベルを選択しましょう(私は普段7D以上です)。そうすれば、多少の理論値からのズレが生じたとしても、低温調理された食品が安全圏に収まっている可能性が大幅に高まります。

この「可能性」という言葉が気に入らない方は次の事実を確認して、殺菌とは確率を制御する行為と認識してください。

D-値を根拠に完全殺菌することはできない

D-値は生菌数が多いときには、現実の有効な近似として機能します。しかし、生菌数が極端に少なくなると現実をうまく映しません。加熱を続けているのに、いつまでも図太く生き残る細菌が少数ながら存在するためです。これが前述の”加熱によって食品中の細菌数をゼロにすることは困難”という言葉の理由です。
とはいえ、食品中の細菌数を安全なレベルまで下げるのにはD-値は十分役に立ちます。完全殺菌という過度な期待は持たず、程度の違いこそあれ、食品中に細菌は必ず存在するものとして食品の調理や保存などを計画しましょう。


参考文献

[1]食品安全監視センター通信H18.8.9, Vol.16.
[2]第17改正日本薬局方の概要, 医薬品医療機器総合機構.

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おすすめツール

Nick が真空調理で使っている道具たちを一部紹介しておきます。

Anova

個人的にはこれ一択。そのうち記事で書きますが、Wi-Fi が圧倒的に便利。外出先にいながら火入れのコントロールが可能。加熱を複数温度に分けて行うなどの場合、外出先から出来ないと不便過ぎる。
最適な加熱条件が分かっているなら、帰宅が遅れた場合に出先から加熱温度を下げて火入れの進行を遅らせる技も使える。

あとは、温度コントロールが命の商品なので、実績あるAnovaが一番安心できるという側面も。安物買って気づかないうちに温度センサー壊れてた→食中毒…とかシャレにならない…。

ポリ袋

ワタナベ工業ポリ袋がいいと思います。ジップロックと比較して1枚あたり50%以上のコストダウンが図れます。野菜500gだって余裕で入る。


Nick はこの袋を400枚まとめ買いしてますが(既に1000枚は使った笑)、お試ししたい人向けに、40枚セットのリンクも一番下に貼っておきます。

ただ、ワタナベ工業ポリ袋にはジッパーがないので、密閉時にはクリップイットを。ポリ袋をクリップイットで留めるだけで簡単に密閉できます。袋の真ん中らへんなど、好きな位置で止められるので便利です。

また、クリップイットは-20~140度の温度耐性があり、湯煎にかけたり冷凍庫に放り込んだりしても2年以上1つも壊れていません。かなり丈夫です。

Nick はワタナベ工業ポリ袋 & クリップイットのコンビに非常に広い応用路を見出しており、真空調理 / 通常調理問わず、使わない日はまずありません。(追って記事書きます。)迷ったら買うべし。後悔させない自信ある。


2018/03/21時点: Amazon だと40枚セット販売、楽天だと40枚×2セット販売で少し割安となっています。(どちらも送料無料)


   [ + ]

1.ここでは触れませんでしたが、リステリアについてもお忘れなく。
2.細菌を熱で半殺しにすること。過酷な環境を経験したことで耐熱性を獲得する菌が出現する。細菌はサイヤ人だと思いましょう。
3.この手の要素の他のものにも興味のある方は、私がD-値を紹介するページで参考文献として挙げる論文を当たって確認してみてください。
4.通常こちらのケースを想定してD-値は測定される
5.一致する場合もある。傾向としては加熱温度が高温になればなるほど差異は小さくなる。
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