低温調理/真空調理の食中毒予防方法は通常の調理とは異なり、やや複雑です。その全体像を体系的に書きました。簡単なハウツーを求める人、ごめんなさい。ちょっとヘビーです。

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STEP1: リスク要因の認識

危険の予防は危険を認識することから始まります。具体的には、何が誰にとってどのように危険かを把握することがリスク管理の出発点になります。

何を食べるのか – 食品サイドのリスク認識

食品毎に潜在するリスクは異なります。食品が生産される過程が食品ごとに異なるため、それぞれ異なる一次汚染を受けるからです。例えば、豚肉ならE型肝炎ウイルス、サルモネラ、有鉤条虫etc., サンマなら腸炎ビブリオ、アニサキス.etc, などです。

また、同じ名前の食品でも生産地ごとに異なるリスクを持っている場合があります。例えば、旋毛虫(トリヒナ症の原因)は世界的に広く分布する豚の寄生虫ですが、日本では食肉用の豚肉からの発見例はありません。そのため、日本では特段の事情がない限り、旋毛虫の危険はありません。1)それに死滅温度も低い。トリヒナ症多発地域で豚肉を食べるのと日本国内で豚肉を食べるのでは、内在するリスクに違いがあります。

この時点で認識し損ねた食中毒原因(以下、「細菌」で統一)については、対策の施しようがないという意味で、ここが最も重要なパートです。確実に把握しましょう。

誰が食べるのか – 人間サイドのリスク認識

同じ細菌でも誰が摂取するかでその危険度は変わります。細菌によって違いはありますが、一般的な傾向としては、子どもや妊娠中の女性・高齢者・基礎疾患のある人(at-risk グループ)は症状が重篤化する可能性が高くなります。
健康な日本人成人であれば滅多にかからないリステリア症も妊娠中の女性、特に胎児にとっては重大な脅威となります。2)アメリカでは特に恐れられており、死者も出ています。
年齢を重ねるにしたがって、「(食中毒にかからなかったという意味で)今まで大丈夫だった調理法」が自分にとって高リスクになる可能性もあります。
食品を口にする人のリスク耐性について必ず確認しましょう。

STEP2: リスク要因の評価

リスクの要因の認識の項で確認した食品サイドのリスク全てに対処するというのが、第一の選択肢になります。これが選べるのであればそうしましょう。

ただ、人によっては上で確認したリスクが無視できるほど小さい場合があります。そのときに、加熱温度を低めに押さえて高温加熱では味わえない仕上がりを求めることもあり得ます。つまり、リスクとリターンを比べて、リスクが十分小さく、リターンが十分大きければ、リスクを取ってリターンを積極的に求めるという選択肢もあり得ます。3)刺身や生卵などで既にやっているようなこと。食品を食べる人にとって、そのリスクがどの程度か確認し、リターンとリスクのバランスを評価しましょう。

リスク症状の確認

運が悪かった時に、どの程度のリスクを覚悟するべきか知るために、リスクが現実化した場合の症状などを確認しましょう。症状が深刻であれば、そのリスクは極力回避するべきです。自分自身を適度に脅かして冷静な判断をするためにも、もしものときの症状を確認することは有益です。

発生確率の推定

リスクが存在したとしても、そのリスクが発生する確率が極端に低ければ、そのリスクを自己責任で無視するという考えもあり得ます。例えば、豚肉にはE型肝炎ウイルスが存在し得ますが、喫食者の年齢・豚肉の生産地次第では発症リスクはかなり低いため、加熱温度を下げるリスクは限定されます。推定にあたっては、食品の汚染率や年間症例数、患者の年齢分布、一次汚染の程度、最低発症菌数などがヒントになるかと思います。

STEP3: リスクの選択

どのリスクをどの程度限定するかを決めます。

対処するリスク要因の選択

対処するリスク要因 = 認識したリスク要因 -(リスク評価の結果)除外すると決めたリスク要因

対処するリスクを選択するというより、「対処しないリスクを選ぶ」の方が実質に合っています。前項で評価した各リスク要因のうち、

除外することを喫食者が納得しているリスク要因

を差し引いて、対処するリスク全体を決定します。特に、喫食者にat-risk グループに属する人がいる場合は、その人に合わせて対処リスク要因を選びましょう。対処するリスク要因を決定する際は、食べる人の立場に立ち、その人の安全を十分考慮しましょう。

リスクレベルの選択 – パスチャライズレベルの選択

細菌に絞って説明します。4)ウイルス・寄生虫についても同じ考えが通用します。リスク要因を”完全に”排除することは難しいので、リスクを安全といえる水準まで下げることが現実的なアプローチになります。そのリスクレベルをどの程度に設定するかは、どの程度殺菌を行うか(細菌をパスチャライズするか)という殺菌レベルの選択の問題になります。

殺菌レベルは、細菌・ウイルスの場合、D-値を基準に定量的に決定します。具体的には、5D-reduction, 7D-reduction, 12D-reduction など、一次汚染の細菌量5)実際は、調理前までの間に増殖している可能性があるを何桁落とすかを選択します。最低でも5D, 国際的な安全ラインは6Dです。しかし、いくらかバッファを設定する意味でも7D以上の殺菌レベルを選択することを勧めます。

喫食者の中に、at-risk グループに属する人が含まれる場合は特に注意が必要です。これらの人は食中毒発症時に重症化する可能性が高いため、高い殺菌レベルを選択するべきです。6)これには、発生確率の低減と発生時の症状の緩和の両方の意味があります。もちろん、そもそも、低温調理をしないことも選択肢の1つです。

なお、寄生虫の場合は、完全殺虫を目指します。

STEP4: パスチャライズ方法の決定

一般的家庭においては殺菌方法は加熱に限られます。したがって、殺菌方法の選択は、加熱温度の選択と加熱時間の選択に帰着されます。以下では、説明の便宜上、加熱温度の選択の方を先に述べますが、現実には2つは独立して選択することはできず、主にD-値を通して密接に関連します。ここでも、細菌に絞って話を進めます。

加熱温度の選択

美食的側面は無視して、衛生面にだけ焦点を絞ります。加熱温度は、選択されたリスク要因を殺菌可能な温度であれば何度に設定しても問題ありません。選択したリスク要因たちが何度で殺菌可能かは、それらのD-値を参照することでわかります。通常、そのリスク要因たちの中で、最も耐熱性の高いものをベンチマークに殺菌を行います。詳しくは以下の記事を参照してください。

ちなみに、食中毒原因となるものの中では、(芽胞を無視すれば)一般細菌では52.3度、寄生虫では56度が生存上限温度になります。HEVやノロウイルスについては詳しく分かっていません。7)効率的な培養方法が確立していないため、ウイルスの耐熱性測定実験などを十分に行えないことが主な原因。

\( T_{1} \) : 保持時間の決定

保持時間(私の造語)は、食材全体が選択した加熱温度に達した状態で、保持されるべき合計時間のことです。D-値と、先に決定した殺菌レベルを基礎に決定します。たとえば、加熱温度が60度、殺菌レベルを7Dに設定していて、\( D_{60} = \) 6分なら保持時間は43分です。

現実には、食材全体が加熱温度と等しくなるまでの間(食材の温度上昇中)にも加熱殺菌は進むため、上のような方法で算出したほどの保持時間は必要ない場合もあります。上の例で言えば、食材温度が58度や59度のときにも加熱殺菌は進行するため、60度に達したときには既に4D程度の殺菌は行われていて、後は60度で18分(つまり、3D分)だけ保持すればよいのかもしれません。

しかし、その殺菌の程度(今の例では”4D”)を加熱前に正確に予測することは現実には困難です。8)現実に応用可能な精度で予測することは不可能ではありません。しかし、かなり面倒です。余計な冒険をせず安全をとり、上で示したように、食材全体が加熱温度(今の例では”60度”)と等しくなったときに起こる加熱殺菌だけで、目的の殺菌レベル(今の例では”7D”)を達成できるようにしましょう。

\( T_{2} \) : 到達時間の推定

到達時間9)私の造語です。既に適切なjargonが与以下略。は、食材の加熱を開始してから食材全体が加熱温度に等しくなるまでにかかる時間の合計です。

上の記事の例で言えば、到達時間は78分です。この例では実際に食材に温度計を刺して、加熱と平行して到達時間を計測していますが、普段の調理ではそんなことはやってられません。到達時間を事前に推定する必要があります。

厄介なのはこの”推定”です。正確に行うのは困難です。食材の初期温度 / 形 / 厚み・袋の厚さ / 素材の熱伝導など色々な要素が絡み合うからです。そのため、正確な推定は諦めて、到達時間は”長くともM分”という上限ラインを見つけ、それを到達時間の推定として採用してしまいましょう。以下の記事でその推定値を紹介しています。10)厳密には、ここで紹介する推定値は、到達時間の推定値ではありません。加熱温度-0.5度に達するまでの時間になります。参考にどうぞ。

加熱時間の決定: \(T = T_{1} + T_{2} + \alpha \)

加熱時間は、食材の加熱を開始してから加熱調理が完了するまでの合計時間です。

\(T_{1},\, T_{2}  \)は既にわかっています。残りの”α”はバッファです。到達時間の良い推定値が手に入らない場合や、信頼できるD-値が手に入らない場合などに、各自の判断で安全のために加えてください。11)上で紹介した推定値が到達時間の推定値でないことが問題になる場合、このバッファ部分で調整ください これら全ての値を足し合わせたものを加熱時間として採用します。以上で、加熱温度と加熱時間が決定されました。

STEP5: 殺菌の実行

殺菌の実行=加熱です。パスチャライズの方法が決まっても、肝心の加熱工程が現場で雑に行われれば、全て台無しです。食材の温度を速やかに上げるため、加熱が効率的に実行されるよう準備し、また、その確認をしましょう。

加熱の効率性

超基本事項です。
・食材を入れた袋内部の空気を追い出す。(WDMなど。以下リンク参照。)
・加熱に用いる水の温度を十分に上げておく。
などです。基礎的なので省略します。

加熱温度のモニタリング

Anova などを使っている人も念のため、内蔵されている温度計がブレれていないか確認しましょう。調理の前に信頼できる温度計で検温すれば十分です。特に55度を切る低温で調理する場合は、1度の差がD-値に大きな影響を与え、殺菌レベルを左右します。1日1回でいいので検温しましょう。

炊飯器で低温調理している人、大きな鍋にお湯を張って低温調理している人は必ず定期的に温度をモニタリングしましょう。温度変化を検知して内部温度を積極的に修正してくれる機能がないからです。モニタリングを怠ると、食材がいつもより大きかったり、食材温度がいつもより低かったり、水の量が少なかったり、外気温がいつもより低かったときなどに、一気にリスクが高まります。専用機器がない限り”放置調理”はしない方が賢明です。

補足: 保存方法

以上が低温調理での食中毒予防の大枠になります。が、まだ少しだけ続きがあります。加熱殺菌後の保存方法、つまり、衛生的な状態を保つためのテクニック/知識についてです。しかし、保存方法は加熱殺菌以上に壮大なテーマであり12)簡単に言うと、長期の保存となると芽胞性細菌や高耐熱性の腐敗菌、細菌の温度帯ごとの世代時間を考慮しなくてはならず、超面倒。短期の保存なら”加熱後の急冷”の一言でほぼ片がつく、低温調理に限らない一般論を多く含むので、今回は見送ります。調理してすぐ食べるなら、保存のことは忘れてしまって大丈夫です。

さて締めます。以上が低温調理での食中毒予防のための”加熱殺菌の”大枠になります。既に実践している人にとっては目新しくもなんともない常識でしょうが、低温調理初心者にとって、ネット上で体系的な知識を得るのは難しそうだと思い書いた次第です。お役に立つようなら、シェアしていただけると嬉しいです。

長い記事を読んでくださり、ありがとうございました。Enjoy sous vide !

関連記事

豚肉の低温調理に必要な加熱時間はサルコシスティスとHEVを除けば牛肉と同じです。この2つのリスクは上の記事を参考に個別に見積もってください。

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おすすめツール

Nick が真空調理で使っている道具たちを一部紹介しておきます。

Anova

個人的にはこれ一択。そのうち記事で書きますが、Wi-Fi が圧倒的に便利。外出先にいながら火入れのコントロールが可能。加熱を複数温度に分けて行うなどの場合、外出先から出来ないと不便過ぎる。
最適な加熱条件が分かっているなら、帰宅が遅れた場合に出先から加熱温度を下げて火入れの進行を遅らせる技も使える。

あとは、温度コントロールが命の商品なので、実績あるAnovaが一番安心できるという側面も。安物買って気づかないうちに温度センサー壊れてた→食中毒…とかシャレにならない…。

ポリ袋

ワタナベ工業ポリ袋がいいと思います。ジップロックと比較して1枚あたり50%以上のコストダウンが図れます。野菜500gだって余裕で入る。


Nick はこの袋を400枚まとめ買いしてますが(既に1000枚は使った笑)、お試ししたい人向けに、40枚セットのリンクも一番下に貼っておきます。

ただ、ワタナベ工業ポリ袋にはジッパーがないので、密閉時にはクリップイットを。ポリ袋をクリップイットで留めるだけで簡単に密閉できます。袋の真ん中らへんなど、好きな位置で止められるので便利です。

また、クリップイットは-20~140度の温度耐性があり、湯煎にかけたり冷凍庫に放り込んだりしても2年以上1つも壊れていません。かなり丈夫です。

Nick はワタナベ工業ポリ袋 & クリップイットのコンビに非常に広い応用路を見出しており、真空調理 / 通常調理問わず、使わない日はまずありません。(追って記事書きます。)迷ったら買うべし。後悔させない自信ある。


2018/03/21時点: Amazon だと40枚セット販売、楽天だと40枚×2セット販売で少し割安となっています。(どちらも送料無料)


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1.それに死滅温度も低い。
2.アメリカでは特に恐れられており、死者も出ています。
3.刺身や生卵などで既にやっているようなこと。
4.ウイルス・寄生虫についても同じ考えが通用します。
5.実際は、調理前までの間に増殖している可能性がある
6.これには、発生確率の低減と発生時の症状の緩和の両方の意味があります。
7.効率的な培養方法が確立していないため、ウイルスの耐熱性測定実験などを十分に行えないことが主な原因。
8.現実に応用可能な精度で予測することは不可能ではありません。しかし、かなり面倒です。
9.私の造語です。既に適切なjargonが与以下略。
10.厳密には、ここで紹介する推定値は、到達時間の推定値ではありません。加熱温度-0.5度に達するまでの時間になります。
11.上で紹介した推定値が到達時間の推定値でないことが問題になる場合、このバッファ部分で調整ください
12.簡単に言うと、長期の保存となると芽胞性細菌や高耐熱性の腐敗菌、細菌の温度帯ごとの世代時間を考慮しなくてはならず、超面倒。短期の保存なら”加熱後の急冷”の一言でほぼ片がつく
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